YUIのはなし(2)

FGS2's column, YUIのはなし

YUIのはなし。(1)

YUIの高校生活は一年と続かなかった。

 

YUIは中学の終わりに、進学先を通信制の高校に決めた。
通うためのお金が安くてすむからである。
そして、空いた時間を使ってバイトでお金を稼ごうと考えていた。中学生がそういうことを考えなければならない環境だったのだ。
しかし、YUIは、娘を想う母親の願いに従い、私立の女子高に通うことになる。
それでもYUIはできるかぎり高校の授業料は自分のバイトで稼ごうと決めたいた。
YUIが言うには、バイトをやっていた頃の睡眠時間は1、2時間しかとれなかったそうだ。常に睡眠不足の生活。
その無理がたたり、YUIは肺炎で入院してしまう。

 

その入院をきっかけに、YUIは高校を辞め、音楽の道へ本気で進むことを決める。

 

このとき、YUIには何もなかった。
福岡の小さなの歌コンクールで優勝したという小さな自信しかなかった。
それ以外になにもなかった。
今のようにギターも知らず、作曲をしたこともなく、業界にコネも知り合いもなかった。
どうすれば音楽の世界で生きているかなど、知るすべさえも持っていなかった。
ただの、貧乏で世間知らずな田舎の小さな女子高生でしかなかった。
歌だけが、YUIの希望の光だった。
子供の頃ひとりで家にいたときに聴いていた音楽。
バイト疲れた帰りに田んぼの真ん中で歌った歌。
キツい現実からの逃避・・・・
灰色の日常に、唯一のようにきらめく、歌。
当時のYUIにとって、歌は逃げ出すための手段だったのかもしれない。。

 

ギリギリの飛翔だった。

 

いや、ほんとうは、このとき既にYUIの隣に音楽塾ヴォイスの西尾がいたのかもしれない。

 

YUIのインタビューでは、この時期のことがぼやかされているが、西尾のインタビューでは、YUIとの出会いを、YUIが中学3年生の頃だったと明言している。

 

音楽業界のややこしさが見え隠れする・・・

 

YUIが高校を辞めたのも、本気で音楽で生きていこうと決めたのも、もしかしたら西尾の意向があったのかもしれない。西尾が、自分の夢と野望をYUIに託していたと言ってもいいすぎではないのかもしれない。 ほんとうのことは、私たちには(まだ)明らかにはされないだろう。

 

運命のように、YUIは、ビアンコネロを通して西尾の音楽塾と出逢う。

 

きっかけは、YUIの友人が誘ってくれたストリートライブだったという。
YUIの音楽の楽しさの原体験のひとつがこのときのビアンコネロのストリートライブであったという。
YUIは、夜のストリートで奏でられるギターと歌声のキラキラした風景に心の底から感動したという。
YUIの胡座をかいてギターを弾き歌うスタイルは、ビアンコネロがそうだったから産まれたスタイルだという。
YUIはこのスタイルをはじめての単独ストリート、そして、デビューのきっかけとなったソニーのオーディションでやってみせたのだった。
YUIは、どうすればミュージシャンになれるのかをビアンコネロに尋ねた。

 

ビアンコネロは、YUIを音楽塾ヴォイスに連れて行った。

 

音楽塾ヴォイスとは、元歌手である西尾が、関東で夢破れ、その後、福岡で立ち上げた音楽塾だ。決して広くはないマンションに様々なアーティスト希望者を集め、西尾の作り出した音楽メソッドを教えている。歌手の綾香も、この塾の卒業生であり、西尾自身がプロデューサである。(ちなみに、熊本出身のスザンヌもちょっと在籍してたようだ)

 

西尾の前に現れたYUIは、歌も楽器も出来ない女の子だった。

 

狙っているかのような地味な服装と、あか抜けない表情、さえない雰囲気。
この子は大丈夫なのかと、心配になる朧げな佇まい。
歌もそんなにうまくはなかったが、面白い声を持っていた。
西尾は、そんなYUIに音楽を教えていくにしたがい、しだいにYUIの魅力を見いだしていき、しまいには自らの家賃に困るような状況なのに、生活の面倒までをも見てしまうほどに入れあげていくようになる。

 

西尾自身は、20代にメジャーデビューの後、鳴かず飛ばずで夢破れた。 音楽を離れ、営業マンで生活の糧をやつし、転勤でおとずれた福岡で、知り合いに音楽の講師の仕事を頼まれたことから、再び音楽への思いに火がついたが、知人のスクールで音楽を教えることに限界を感じ、自らのスクールを立ち上げた。
ワンルームの音楽塾。
若い頃の感性だけに頼っていた自分への反省から、西尾はビートルズをはじめとするヒット曲の解析に没頭し、感性だけに頼らない音楽のメソッドを作り上げていった。 ヒット曲に共通する「心に響く悲しいリズム」や「気持ちが弾むメロディー」といった法則や、メロの展開の面白さ、サビの引き立てかたなどを、西尾は、独自の解釈で練り上げていったのだ。
そして、そのメソッドを、自分の塾生に教えていった。
その塾生の一人がYUIであった。
YUIに最初のギターを与えたのも、西尾である。

 

YUIが「TOKYO」で歌った、

 

♪古いギターをアタシにくれたひと 東京は怖いって言ってた

 

彼が西尾である。

 

つづく。




 

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川嶋あいのはなし。(1)

FGS2's column, 川嶋あいのはなし。

あいちゃんは、生まれてすぐに福岡の施設に預けられた。
生みの母は、体が弱く生まれたばかりのあいちゃんを育てられなかったからだ。
その生みの母は、あいちゃんが三歳の頃に亡くなった。
 
 
ひとりになったあいちゃんは、三歳の頃に、川嶋夫妻に養女として引き受けられた。
幼いあいちゃんは、自分が養女である事を知らないままに育った。
川嶋夫妻を実の母と父と思って過ごしたのだ。
川嶋家は、福岡で建設業を営み、裕福であった。
あいちゃんは幸せだったと思う。
 
 
しかし、あいちゃんが10歳の頃に父ががんで倒れ、亡くなった時からあいちゃんの人生は変わっていく。
残された母はひとり頑張ったが、事業は目に見えて傾き、坂道を転がり落ちるように貧乏になっていった。(ちょうどその頃は、経済政策の失策によるバブル崩壊の本格化と消費税5パーセント化による消費鈍化という、建設業最悪の時期であったことも不運であった。私もこの頃建設業に就職していたが、ほんとうに仕事がなかった)
 
 
そして、母は過労と病気で倒れた。
 
 
☆☆☆
 
 
話は前後するが、あいちゃんが歌とであったのは、5歳の頃だ。幸せな頃だった。
小さなあいちゃんがいろんな習い事にいくうちのひとつが、歌の教室だった。
そこで歌の先生に「声がいいね」とほめられた。
それを聞いた母は喜んだ
いろんなコンテストに出ては、小さな賞をたくさんもらった。
母は、大いに喜んだ。「あいちゃんは歌手になる!」と母の夢はどんどん膨らんだ。
だから、あいちゃんは歌をうたうことを頑張った
 
 
父が亡くなったあとも、「あいちゃんが歌手になる夢」を、母は捨てなかった。
むしろ、そのためだけに母は我武者らに頑張り続けた。そして倒れた。
その後も、母は退院しても頑張りすぎては倒れて入院‥の繰り返しだった。
 
 
母の夢を背負ったあいちゃんは、13歳のとき、地元の音楽プロデューサーに抜擢されて「史上最年少作曲家、演歌歌手」としてデビューした。
 
 
しかし、それは福岡という一地方での小さなデビューでしかなかった。
あっというまにあいちゃんは人々に忘れ去られ、仕事もないままに、母と二人でスナックやバーのどさ回りをした。
それは中学生のあいちゃんには屈辱としか感じられなかった
あいちゃんの屈辱の涙をみた夜、母はひとつの決断をした。
 
 
数日後、母はあいちゃんに「東京に行きなさい」といった。

つづく。




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JAMOSAのはなし。(1)

FGS2's column, JAMOSAのはなし。

今回はJAMOSAです。
 
 
新進のR&Bアーティストです。
 
 
福岡にて日本人の父親と台湾人の母親の間に生まれる。
(しかし、福岡出身のアーティストの家族構成とか事情って言うのはほんとうにバラエティーに富んでいる。ほんといろいろバラエティーに富んでいて面白い(ちょっと不謹慎です))
 
 
幼少時から歌手を目指し、10歳の頃にはマイケルジャクソンのキッズコーラスとして参加したそうです。その後、「日本・アメリカ各地で10代を過ごし、17歳の時には自身の曲がアダム・サンドラ出演の映画「リトル ニッキー」に挿入歌として抜擢され」たそうです。
 
 
その後、日本(福岡?)に帰ってきてクラブデビューした?らしいです?
(正直この辺りはよくわかりません。でも、いまも家族は福岡にいるとの未確認情報もあったりなかったり。妹さんが福岡のクラブでデビューしたとか言う話もありますし。どうでしょうか)
 
 
また、プロフには、大学に行きながらクラブバーテンダーをしていたということですが、これって、福岡のことかしらん?
 
 
というぐあいに、実は良くわからんのです。
 
 
生まれは福岡で、インターナショナルスクールにいってて、十代を各地で過ごし、福岡のクラブに顔が利くwという。そして博多弁が得意ということですね。
 
 
☆☆☆
 
 
エリカ・バデュという黒人歌手がいます。
1997年に「バデュイズム」でデビューしてあっという間にアメリカのメジャーシーンを駆け上り、グラミー賞を得るほどの歌声の持ち主です(その後もグラミーの常連となる)。
 
 
僕は彼女の歌が大好きで、マイiPodにはいっている洋楽歌手の数少ないひとりでもあります。ほんとに歌に感じるものがあって、すばらしいんです。「ERYKAH BADU LIVE」とか最強です。
 
 
日本の歌手にも歌がうまい人は山ほどいます。才能豊かな人も多いです。福岡出身の歌手たちもそれぞれのたちばでうまいです。とくにMISIAなんか筆頭とも言われるかもしれません。
 
 
しかし、エリカ・バデュ的な歌手は、およそみたことがない。
あれこそ、黒人だから歌えるのだとしかいえない、素晴らしさが、バデュの歌にはある。
 
 
そう、それはエモーションというレベルで語られるべき歌なのです。
(ちなみにMISIAはパッション的な)
 
 
そんな僕の耳に飛び込んできたのが、JAMOSAの歌声だったのです。
 
 
二年ほどマエの深夜番組。「流派R」だったと思います。ええ、たしかあの番組でした。僕は、JAMOSAの歌声に、耳を奪われました。エリカ・バデュに匹敵しうる才能が日本に現れた!! 僕の血圧が瞬間にわき上がるのを感じました。すぐに、CDを手に入れました。
 
 
やはり、素晴らしい歌声でした。
 
 
ただ、バデュと違うのが、声の色身でした。湿感とでも言うか、バデュのそれが、スムージーな乾燥した空気であるのに対して、JAMOSAの声には赤いウェッティーな(変な言葉だw)熱さを感じさせる。ただのレコーディング環境の違いとも思えない、その違いこそあれ、やはり、JAMOSAの歌声は最高にエモーションだった。
 
 
このエモーションさを、今の日本の、日本語で歌える歌手は、JAMOSAをのぞけば、(変な比較だが)演歌を歌う演歌歌手ぐらいしか見つけられない。特別すぎる才能だ。
実際、インディーズ時代からクラブシーンでは引っ張りだこで、あれよあれよというまに、駆け上り、いつのまにやらメジャーデビューとなっていたりします。
 
 
僕も一度くらいは、ライブに行って生で聴きたいとは思っているのだが、さすがにJAMOSAのライブに、普通のおじさんがいくには勇気がいりすぎて、ちょっと無理です。いやまじで。クラブ系&女子ばっかりのライブですぜ。
 
 
でも、女子だったら、ちょっとキラキラオシャレすればぜんぜん問題なく入れると思うので、ぜひ、女子には足を運んでもらいたいものです。まじで、惚れると思うよ。
 
 
☆☆☆
 
 
というふうに、僕は、実は、もともとが、JAMOSAのファンでして、今回ブログを書くことにして、福岡出身の歌手を調べて、初めてJAMOSAが福岡出身だと気づいたのでした。
 
 
とにかく、JAMOSAはおすすめです。
とくに女子にはベリーおすすめですので、ぜひ、手に取っていただきたい。
 
 
今回は、そんな感じです。

つづく。



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椎名林檎のはなし(1)

椎名林檎のはなし

椎名林檎と言えば「正しい街」である。
「正しい街」というのは、椎名林檎の代表曲のひとつである。
 
 
♪都会では冬のにおいも正しくない
  百道浜も君も室見川もない
 
 
「正しい街」とは椎名林檎の出身地である福岡市のことである。
 
 
デビューのために東京に移り住んだ椎名林檎が、福岡で別れた彼のことを想い歌う曲だ。
私は、この歌詞で「百道浜」と「室見川」の間に「君」をもってくる、この椎名林檎の文学的センスにメロメロになるタイプなのだが‥ いや、これは蛇足であった。
 
 

百道浜と室見川はともに福岡市早良区の海岸線に位置する場所で、椎名林檎もこの近辺に住んでいた。
地図でみれば、福岡タワーのある埋め立て地部分が百道浜地区で、その西に隣接する川が室見川だ。
椎名林檎が住んでいた当時、百道浜地区は福岡市内でもっとも新しく都市開発された場所で、なんというか、当時の印象としては、福岡にいきなり東京が現れたような、そんな不思議な都市的空間だったのを覚えている。とくに百道浜人工海岸なんかは、夏になれば、ビーチバレーに水上スキー、レゲーミュージックにウリボウと、東京のお台場かと見間違える異空間が登場する場所であった。
 
 
当時、東区の何の特徴もない町に住んでいた私は、はじめて百道浜へいったとき、ここが福岡とは信じられない思いだったのを覚えている。
 
 
☆☆☆
 
 
椎名林檎がこの「正しい街」にやってきたのは中学生のときである。
父親の転勤が理由という。
生まれたのは埼玉県さいたま市(現)で、その後、静岡県清水を経て、福岡に来たのである。
椎名林檎が福岡に住んだのは、中学から高校を卒業し、歌手として東京へ旅立つ数年間のことである。
 
 
ここでややこしい話になる。
椎名林檎の出身地は福岡である。
 
 
では出身地とは何か?
 
 
これがなかなかややこしい話で、実は出身地の定義は決まっていなそうです。
辞典によっては出生地=出身地=本籍地とされているのもあるそうですが、これはあまりにも実情と合わない。より一般的には、社会に出るまえの義務教育の最終地を出身地としていることが多いように思われます。
 
 

私のことで恐縮ですが、私が生まれたのは大阪です。
4歳の頃に東京に移り住み、8歳のときに福岡に移りました。そして、本籍地は長崎です。大阪時代のことはまるで覚えていませんが、はじめに覚えた言葉は関西弁だったそうです。最初の記憶は東京からです。そして、私にとって東京の4年間こそが人格形成に最も重要だったと感じています。しかし、一番長く住んでおり、社会人になる直前まで暮らしていたのが福岡です。
 
 
私の出身地はどこなのでしょうか?
 
 
長いこと、この疑問を抱えたまま生きてきて、数年マエに決めたのが「三つ子の魂百まで的出身地=大阪」「記憶のふるさと的出身地=東京」「社会的な出身地=福岡」と、分けてとらえることです。
どこが一番大切か比べようもありませんが、でも、私にとっては、やっぱり、幼稚園〜小学低学年の記憶って言うのは重いですね。
 
 
では、椎名林檎にとっての、出身地はどうでしょうか。
 
 
生まれた出身地の埼玉?
記憶の出身地の静岡?(一番長く暮らしたのも静岡)
社会的な出身地である福岡?
 
 
プロフィール上では福岡ですし、よっぽどのファンでない限り、椎名林檎が静岡に住んでいたことを知らないでしょう。椎名林檎のデビュー頃では、プロモート的に隠していた部分もあったかもしれません(わかりやすくするため)。ただ、最近では静岡公演のMCで普通に小学校まで暮らしていたことを言っていますし、静岡の方言を使ってオーディエンスをわかせたりもしています。
 
 
椎名林檎にとって、小学校時代を暮らした静岡という場所の記憶は、とっても大事なものだということは、みなさんも自分のことを鑑みて想像できると思います。わたしなんか、今でも小学校時代の夢を見るほど大事な時代でした。
ちなみに椎名林檎の名前は、静岡時代にほっぺが赤いから”りんごちゃん”と呼ばれたのが元だというそうです。
 
 
「小学校時代」という人生で最も濃密な時間を過ごした静岡と、中学高校と一年ほどを暮らした福岡。
 
 
どちらが大切だったかは、比べようもないものかもしれません。
でも、「正しい街」も含めて、福岡は椎名林檎の歌詞にいくつも取り入れられています。
椎名林檎の初期の曲のほとんどが福岡時代につくられていた、あるいは福岡時代をベースにつくられていたといいます。
 
 
椎名林檎は中学の終わりからバンド活動を始めた。
いつからか、真っ赤に染めた髪に、不思議ちゃんな雰囲気の”椎名林檎”というキャラクターを自らの中に作り上げていく。が、それ以上に詩や文芸に対する知的興味、ジャズやシャンソンを聴く父親の影響などが、椎名林檎を強烈に形づくっていったのかもしれない。
 
 
デモテープをつくる日々、94年、ホリプロスカウトキャラバンに出場。
95年にはヤマハ第9回TEENS’ MUSIC FESTIVALで奨励賞を受賞。
96年頃に椎名林檎を名乗るようになり、THE 5th MUSIC QUEST-1996 JAPAN FINALで優秀賞を受賞する。
その翌年、英国に数ヶ月の韜晦旅行に出かけ、かえってきてから、ミュージッククエストつながりで東芝EMIよりデビューを決める。
 
 
本名の椎名さんにとって、どちらがと比べられるようなものではないでしょう。
しかし、”椎名林檎”というアーティストが生まれたのが福岡であること。
”椎名林檎”というアーティストの出身地であり故郷が福岡であることだけは、間違いないと思います。
 
 
福岡でなければ、”椎名林檎”は生まれなかったでしょうし、福岡だったから”椎名林檎”が生まれた。というのは言い過ぎでしょうか。
だからこそ、ファンの多くが知るように、椎名林檎の福岡公演が特別の雰囲気をもって演じられているのではないでしょうか。
アーティストにとっても出身地とは、そのアーティストが最も強烈に形成された場所でよいと思います。
 
 
椎名林檎の出身地は、福岡です。

つづく。



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田中れいなのはなし(1)

FGS2's column, 田中れいなのはなし。


田中れいなは、モーニング娘。の6期メンバーです。
現在は、高橋愛、久住小春と並んでモーニング娘。のトップとして活躍しています。
 
 
福岡出身の田中れいなは、モーニング娘。に合格すると同じ頃に東京に引っ越すことになります。
生まれてからずっと福岡で育った田中れいなは、モーニング娘。になってからも、たびたび福岡郷土愛に溢れるコメントを発したりしていますし、なにより、福岡出身の芸能人としては珍しく福岡言葉をがんばって使い続けています。(福岡言葉の女の子ってかわいいです)
 
 
そんな田中れいながモーニング娘。に入ったきっかけはもちろんオーディションです。
第5期のモーニング娘。オーディションに応募して、最終選考までのこったものの、なぜか最終選考の場になって年齢が足りない(当時小学6年生だった)こと がわかり、不合格となります。当時金髪小学生だった田中れいなの姿は、第5期オーディション時の映像として残っていたりします。
そして、その次の第6期オーディションで見事合格となったのです。
 
 
☆☆☆
 
 
田中れいながモーニング娘。になってからしばらくたったころ、とある番組で、福岡時代のことをぽつりとつぶやきました。
 
 
その番組とは、高尾山を散策して、そばを作ろうというものでした。
田中れいなは高尾山の山道を歩きながら、「れいなのいっていた学校の裏に山があって‥」ということを話していました。
どうやら、高尾山を歩きながら、福岡のときの学校の裏に山があって、そこを思い出したようなことを言っていました。
 
 
実は、ここだけの話ですが、僕は田中れいなと同じ校区に住んでいました。田中れいなの福岡時代の小学校、中学校の卒業生でもあります。
つまり僕は田中れいなの先輩だったのです。
当然、田中れいなの言う”学校の裏山”も僕のよく知る場所でした。
田中れいなは、高尾山を歩きながら、学校の裏山を語っていましたが、学校の裏山は、高尾山のように立派な山ではありません。ちょっとした丘のようなものです。
でも、丘陵地帯の突端にあることと、周囲にあまり緑がないことから、この校区内で、もっとも記憶に残る場所であったことは間違いありません。
僕も小学生時代には、枝に吊るされたロープでターザン遊びをしたり、鉄砲ごっこをして走り回ったり、犬との散歩道だったり、裏山の奥にある防空壕で火を焚いて遊んだら入り口をコンクリートで埋められちゃったりと、いろんな思い出がある。
 
 
田中れいなにも、少なからず同じような思い出があったのだと思います。
(‥ああ、学校の裏山について田中れいなと語りたい)
 
 
ちなみにこの学校の裏山というのは、実は歴史を持っていて、
「太平記」でもっともドラマチックな合せんの一つである多々良浜の戦い(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9A%E3%80%85%E8%89%AF%E6%B5%9C%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84)において、足利尊氏が陣を張ったのが、この学校の裏山だったことは、近所の人々にもほとんど知られていない歴史である。(浄水場の敷地内に”陣の越ジンノコシ”の石碑がることもほとんど知られていない)
たぶん、田中れいなも知らないだろう。
というか「太平記」を知っているかも怪しい。
 
 
☆☆☆
 
 
そんなロマンとスペクタクル溢れる歴史があったということは確かだが、今現在の、田中れいなの育った町は、なんの特徴もない古い住宅地です。
都会でもなく、かといって、田舎的な風景があるわけでもない。小学校の裏山以外になんの記憶にも残らない校区です。
一緒の校区に住んでいた僕がいうから間違いないw
 
 
田中れいなは、そんなどこにでもある地方の町で生まれ、その街のお祭りで歌って踊ったり、学校の行事ではミニモニ。をコスプレして歌ったりしていた。
アイドルに憧れながら、小さい頃から目立つことが好きで、人と違う自分が好きな、自分のかわいさに自覚を持っていて、そして、ちょっとやんちゃな、そんなどこにでもいる女の子のひとりでした。
 
 
☆☆☆
 
 
モーニング娘。は、普通の女の子を、つんく♂をはじめとする大人たちがアイドルに祭り上げるというアイドルグループでした。
だから、田中れいなにとって、モーニング娘。はぴったりの場所だったんじゃないかなと思うのです。
モーニング娘。というアイドルグループは、そんな田中れいなにぴったりだったと思いますね。

つづく。






田中れいな写真集『Very Reina』 (DVD付) (大型本)
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田中れいなの最新写真集です。
なぜかモーニング娘。の最新シングルは発売一ヶ月を切っているのに、AMAZONに画像が用意されていません。

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YUIのはなし。(1)

FGS2's column, YUIのはなし


YUIは福岡県の古賀で生まれ、古賀の山中で幼少を過ごした。
 
 
ウリボウ(イノシシの子供、超かわいい!)を捕まえてかえったり、山間を走り回ったりと活発な幼児だったそうです。実際、いまでも古賀の山ではイノシシ猟が行われています(僕も食べたことがある)
小学校に入る頃にYUIは新宮に移り住みます。
このとき、YUIは父と離れることになる。

 
 
YUIは父の名前も顔も覚えていないという。
 
 
新宮は海の近くである。
YUIのプロフィールには”Favorite Place 新宮の海”とある、それが、この新宮の海です。
YUIは新宮の海の近くでバイトをし、新宮の海で歌を歌いギターを弾き、散歩し、そして、ただずっと眺めていたりしていた。新宮の海はどこか寂しい。新宮 の海は玄海の海だ。日本海につながり、荒々しくどこかくらい。一見、湘南の海に似た風景なのに、どこかが違う。僕も、人生がきついときとかに新宮の海や志 賀島の海岸で、海を眺めつづけたことがある。湘南とも九十九里浜とも、もちろん東京湾の海とも違う。
新宮の海は、どこか寂しいのです。

 
 
YUIの母は、生活のために働き、あまり家にはいなかったそうです。
 
 
いつしかYUIはひとりが得意になった。そして、ごく自然に音楽をよく聴くようにもなっていった。音楽は寂しさを紛らわせてくれる。ラジオやCDから流れ てくる音楽にいっしょになってうたったり、歌詞を書き出したりしはじめて、それはいつのまにか自分の歌詞ノートを書き始めることにつながっていった。
まるでポエムのような、日記のような、そのノートは、YUIが東京に出るときには、YUI自信がびっくりするような量になっていた。

 
 
ただ、YUIは単なる文学少女になったわけではなかった。
 
 
幼少の頃からからだを動かすことが好きだったYUIは、小学生の頃には男子に交じってサッカーをしたり、中学になってからも部活は体育会系だった。
でも、中学での部活は(本人がいうには)人間関係がうまくいかずやめてしまう。そのかわりにYUIは地域活動のバトミントンクラブに参加した。このバトミントンクラブはとても楽しかったようで、大会に出て活躍したりしていたそうです。
特に楽しかったのが、ひとりで壁うちしたり、箱に入れたりすることだったそうです。ひとり上手というか、なんというかw

 
 
ただ、このことからも、YUIのことが少しわかると思いませんか?
 
 
YUIはからだを動かすことが好きというよりも、誰かに勝つとかということよりも、「自分が上達する過程」そのものが楽しくて好きだったんではないでしょうか。
延々とひとりで同じトレーニングを繰り返すことは、一見すると退屈できついだけじゃないかと思われるかもしれません。でも、その繰り返しの中でも、ほんの ちょっとのスナップの効かせかたや、力の入れ具合、抜き具合によって、さまざまに変化してゆく小さな結果の積み重ねを読み取り、楽しむことができる。
そんな「暗黙知の世界」という他人には伺い知れない”自分の世界”に、YUIは入ってゆけるタイプの人間だったのでしょうね。
(ちなみに世界的な天才と呼ばれる人々の多くがこの「暗黙知の世界」に入れるタイプのようです)

 
 
僕は、今のYUIにとってのギターが、当時のバトミントンのネットの代わりになっていると思えるのです。YUIがギターを大切にする理由。それは、ギターが 「暗黙知の世界」の入り口になっているからなんだと思うのです。ギターの繊細な弦をつま弾くことは、YUIにとっては、中学時代に延々と続けられたバタミ ントンのトレーニングと同じこと。ギターをつま弾くからだをとおして感じる世界。小さなちいさな上達の積み重ねがとても楽しい。
 
 
だから、YUIはギターが好きで、手放せない。

つづく。

 



 


 

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前作から、約1年ぶりの復帰第一弾シングルですね。

 

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FGS2’s columnのはじまり。

FGS2's column

私が福岡出身の歌手を書こうと思い立ったのは、もちろん、私自身が福岡出身だということもあったのだが、それ以上に、福岡出身の歌手・アーティストがすばらしい方々ばかりだからだ。
すばらしさの基準というのはいろいろあるかもしれない。僕の場合は”その人について、何かを書きたいという衝動に駆られるかどうか”というそのパッション の大小が、その人のすばらしさの基準になっている。つまらない人のことをわざわざ時間を割いて書きたいとは思わないのだ。

また、人そのものの魅力に加えて、音楽のすばらしさというのも当然ながら大きい。
僕のipodには、今回書くことになる福岡出身の歌手たちの曲がーー満遍なくとはいえないがーー全員分が入っているし、よく聴いている。音楽に関しては好き嫌いが激しいほうの僕が、それぞれをきちんと認めてしまえるような曲を、歌を彼女たちは歌っている。

そうそう、このブログで取り上げる歌手の人々をあげるのを忘れていた。
次の通りだ。


椎名林檎
浜崎あゆみ
川嶋あい
手嶌葵
田中れいな
MISIA
SHUUBI
JAMOSA
YUI

☆☆☆

順不同です。
基本的に福岡出身とプロフィールに書いている、若手の女性歌手の方々です。
メジャーだけではなくインディーズの方もいます。まあ、今のご時世にメジャーだのインディーズだのでわけるのもどうかと思ったりおもわなかったりですが。

初めなので、そうですね、彼女たちの福岡弁について、さらっと書いて今回のブログ記事を終わりましょう。

☆☆☆


椎名林檎

発育ステータスでは福岡言葉で歌い上げています。
また、自身もインタビューやMCではたびたび福岡言葉を喋っています。

浜崎あゆみ

彼女は産まれてから中学まで福岡で育ったので、とうぜんながら超ネイティブな福岡言葉をみにつけているでしょう。ただ、彼女の場合、一緒に住んでいたお母 さんが東京の人で、家庭内ではごく普通に東京言葉を使っていたというので、たぶん、彼女自身が東京言葉と福岡言葉のバイリンガルで育ったのではないかと思 うのですが。(ちなみに、東京言葉と福岡言葉は水と油です)
現在彼女がメディアで福岡言葉を話す事は稀ですが、コンサートの福岡公演では、結構福岡言葉でMCをやっているそうです。

川嶋あい

いろんなところで、彼女が福岡言葉で喋る姿を見ますね。
彼女のブログでもよく福岡言葉で書かれる事がありますし。特に彼女の場合、郷土愛をともなって福岡言葉を使うところがあるので好感が持てたりします。ただやっぱり、博多言葉ってのはパブリックな場で使いづらい言葉なので、そんなに多くはありません。

手嶌葵

彼女の場合は、今現在も生活の場は福岡においているようですので、ごく普通に福岡言葉を使っているでしょう。

田中れいな

この子は、今でもメディアで福岡言葉を喋る珍しいアイドルです。「〜と?」とか「〜やろ」など博多大吉花丸バリにがんばって使っています(大丸はオフメ ディアではかなり東京言葉に毒されている模様ですw)が、ちょっと無理矢理感が漂って悲しいですw 基本的に首都圏で福岡言葉は通用しません。

MISIA

今回、色々調べてみたのですが、あまり、福岡言葉を使う姿は見られていないようですね。でも、どっかで、見たような気もするのですが・・
ただ、彼女の場合は、中学の途中まで対馬で育ったので、ちょっとガチガチな福岡言葉といわけではないのかもしれません(といってそれほど違いがあるとは思えませんが)

SHUUBI

彼女は「ジーナK」という福岡を舞台とした、そして、全編博多弁(!)で描かれた映画の主演をつとめたこともあり、博多弁に関してはまったく問題なく使いますね。もちろん、彼女の博多弁はネイティブで、ブログなどでも、福岡郷土愛がときどきあふれちゃったりしています。

JAMOSA

ネットで調べてたら、なんとなくライブMCで使ってるみたいなんですが、未確認です。っていうか、ほんとに福岡言葉ってパブリックな場で使いづらすぎです(涙

YUI

彼女の初期のメディア出演などで、福岡言葉をしゃべっている姿をいろいろと見ることができます。これがまた、めっちゃかわいいんですよ。なんていうか福岡言葉をしゃべる女の子って日本一かわいいと思います。脱線。

ところで、読者の方は、僕が博多弁と福岡言葉で分けていることに気づいたでしょうか。
実は、福岡市の中でも、博多部とそれ以外の区部では微妙に言葉が違うんですよね。なんていうか、博多だけが微妙に違う感じなんです。博多部の言葉がいわゆる”博多弁”で、それ以外の区部の言葉は”福岡言葉”な感じなんです。
そして、今回取り上げる歌手の人たちには博多部出身の人はいません。
だから、このブログでは、ほとんど博多弁という言葉は出てきません。

ややこしいですねw すみません。

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4/7のニュース(AYU/AI/RIN)

NEWS!!

本日(4/7)のニュースはつぎのとおりです。

★★★

【浜崎あゆみ】浜崎あゆみ(30)が渋谷にサプライズ登場 8000人が殺到し大パニック

「歌手の浜崎あゆみが 7日(火)、デビュー10周年を記念した単行本
Ayuのデジデジ日記 2000-2009 A (単行本)』の発売を記念し、東京・渋谷のレコード店と
渋谷109にサプライズで登場した」

8000人・・・? ああ、その当時、渋谷の109周辺にいた人たちの数ですよね。いや、殺到って書いてるし。109から交差点までぎっしりでそのくらいの人数になるんじゃないかしらん。
まあ、こういう記事の数字はたいてい記者さんの思いつきで書かれているしね〜

浜崎さんの本は、青ビキニで話題ですよね。もちろん、私も買いますよ!!

★★★

【川嶋あい】明日4/8最新シングル『大丈夫だよ』がリリース!

大丈夫だよ(初回生産限定盤)(DVD付) [Single] [CD+DVD] [Limited Edition]
B001QTMSFY
「内容紹介・頑張っている「あなた」に、川嶋あいからの応援メッセージ!
色々な不安が溢れている現在、「大丈夫だよ」というメッセージを伝えたい!カップリング曲には、毎年神戸で歌われている復興支援曲「しあわせ運べるように」を収録。全国33都道府県約350校で塾を展開しているワオ・コーポレーションが贈る、劇場用長編アニメーション映画第3弾!!2009年夏、公開予定の「八月のシンフォニー」の主題歌に「大丈夫だよ」が決定!!また、この映画の原作が川嶋あいの著書『最後の言葉』ということもあり話題性が絶えない」

彼女の著書「最後の言葉 (文庫)」はおすすめです。ただ、あの作品を映画化というのは、ちょっと不安があります。また、あいちゃんがネットとかで不当に叩かれないか不安ですよね。

★★★

【椎名林檎】ともさかりえが9年ぶりに音楽活動を再開! 椎名林檎、東京事変らが参加したニュー・アルバム『トリドリ。』を6月24日にリリース - bounce.com [ニュース]

「2000年のシングル“少女ロボット”以来のCDリリースとなる今回の作品には、椎名林檎や東京事変、木村カエラら錚々たるアーティストが参加。特に前述の“少女ロボット” …」

★★★

さぐりさぐりで始まったこのブログ。
ぼちぼちニュースをしながら、メインコンテンツもつくっていきたいなと、思ったり思わなかったり。ではでは。

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